私の代わりに

今まで歩んできた奇跡を綴るだけのブログ

悲しいことも全て自分のせいなのだろう


昨日の夜、喧嘩というか結果的に私が裏切ったような形のやりとりがあった。

去年の夏ごろの事だ。束縛のひどさと、私が遊ぶ友人が理解できない、だからあまり遊びに行かれると嫌、見たいな事を言われて疲弊していたころ。

過去に付き合っていたモトカノと少し遊ぶことになった。


その子は数年前に別れてからは親友のような立ち位置となり、よく昔から遊んでいた人だ。もちろん一抹の恋愛感情もない。レズビアンは狭い世界で、モトカノと仲良くしている人は多い。それは私もそうだし、付き合っている彼もそうだ。

だけれども私のモトカノたちに対してとても嫌悪する。自分は平然とモトカノと遊ぶのに、矛盾しているなぁと強く感じていた。


車でモトカノの家に行き、すぐにバイクに乗り換えて近くのスタバへ向かって、しばらくおしゃべりをしてから帰ってきた。

そのときに嘘をついた。

「バイクで迎えに来たから、仕方なくバイクに乗った」

どうしてその嘘をついたかというと、彼が「いつかバイク買ったら乗せるからそれまで待って」と言っていたから。

けれど毎月お金が無くなって借りたりカード払いしている姿を見ていて、数年はありえないだろうとも思っていた。罪悪感もあったが、その子にも来年バイク乗せてよ!と言っていた手前断ることができなかったのだ。


そのことを昨日の夜言った。

そしたら「そんなしょーもない嘘ついてたんだ」と投げやりに言われて泣かれた。

この数日、私の携帯をことあるごとに盗み見ようとしてきた。それもとても不快だった。きっと疑っているんだと思う、私が浮気をしているのではないかと。

けれどそんな事実は一切無い。

それどころか、最近は尽くしていると思う。毎日好きと言うようにしている。愛情表現を沢山して喜んでほしいと思っているから。

携帯を見られるのは普通に嫌なだけだ。個人のプライベートだし、友人とのたわいないやりとりをしている。それの一つ一つに文句を言われたら堪らないからだ。少しの言葉で傷ついたり問い詰めてきたりする彼に、私の友人との会話なんて見られたらなにこそ言われるかわからない。それこそ本物の束縛だ。


少し、今後に自信が無くなった。

毎回しょうもないことで疑われて探られて、それが嫌で、昔はやんわり出来事を端折って伝えていた。やましいことが無いのに責められ価値観が違うと言われるのはまっぴらごめんだ。

今後どう傾いていくのだろう。どちらにせよ、わたしはもうなすがままだ。大分疲れたししょうがないこともある。彼がどう思うかによって今後を任せるつもりだ。


悲しみの連鎖

薬を飲んでも気分なんて上がらない。

ずっとつらい時間をただぼんやりと過ぎ去っていくのを待つだけ。

 

このままじゃだめだと思って遊びに行く機会を作っていくのに、

それを同居人は理解してくれない。

 

当たり前だよね、私のことを知らないしわかってはいないもの。

しょうがないとは思っているけど、これ以上私からなにかアクションを起こすことができないよ。

 

私だって楽しく仕事をして、楽しく遊びたい。

難しい。

あんなふうに簡単にできていたころが懐かしい。

少し前の話なのにな。

今は本当にあの頃に戻りたいって思ってしまう。

 

人生って難しい。

一つの仕事で平穏にやっていこうとすれば、お金はなくなっていく。

無理をしようとすればメンタルに直結してくる。

 

つらいな。

 

つらすぎる。

 

口に出したら泣いてしまいそうなくらい、私は疲弊している。

 

助けてが言えない環境はここまでつらいのね。

 

虚しい。

 

 

おいてけぼり

家にいると、世界に置いて行かれている気持ちになる。

一人で散歩をすると、もっと孤独を感じる。

 

うまくいかない日々はとても退屈で憂鬱だ。

 

今年に入ってから良いことが全くない。

ずっと殻に閉じこもってるか、虚勢を張っているかのどちらかだ。

 

私は何も持っていないし、何もしてあげることが出来ない。

ずっと孤独は続く。人生とはなんて辛くて残酷なのだろう。

 

死ぬときに誰かに看取ってもらえたら幸せだろうと思う。

けど、その関係性を築くことは計り知れない苦労の連続だろう。

 

どうしてもできない。

そして孤独から逃げ出せない。

 

こうして逃げ回るのだろうか、私は。

 

懐に入ってきて、全部奪われてしまった話。

数年前の出来事。

 

5年ほど付き合っていた男性が会社内での異動以降、鬱になった。

週末は私の家に来ることが多かった彼は、1日中苦しそうにもがきながら、ベッドから出てこなくなってしまった。

私は支えなければと思う一心で、彼の様子を日々心配し、病院を探して一緒に通院をしていた。

けれど、私のその行為は彼に対して負担しか与えられなかったようだった。

年末、私が帰省し実家に戻ったことを確認したところで、別れたいというメールがきた。何度も電話したが出てもらえず、結局5年の時間は一方的なメールで終止符を打ってしまった。

 

大晦日、毎年恒例で仲間で集まりわいわいと話していたが、私はどうしても上の空だった。そんなときに最近仲良くなった女性から「心配だし、今からそっちに行こうか」と言われた。

地元はJRで1時間半かかる、遠い場所だ。けれど私はその言葉がとても嬉しくて、来てくれるなら来てほしい、と答えた。

彼女はきた。そして優しく大丈夫だと何度も声を掛けてくれた。私の実家には泊めてあげることができなかった為、彼女と町中の安いビジネスホテル一泊した。

なんとなく、身体の関係になってしまう気がしていた。

 

彼女はセックスした後、好きだよ、と呟いた。

けれど私のポリシーとして、誰とも付き合わないと決めている。抱える、守ってあげなきゃいけない人がもう一人いて、その子もささえなきゃいけないから、と。

私はこの人のことは好きにならないだろうし、そのくらい淡泊なほうが今の憔悴しきった心には居心地が良かった。

 

自分の家に帰ってくると、何度も泊まっていきなよというお誘いがあった。泊まりに行くとなんでも準備していてくれ、ごはんも美味しいものを沢山作ってくれた。このままいたらいいじゃんという甘い言葉に、私は変に気を許してしまった。心があったかくなった。この人は私を必要としてくれているんじゃないかと。

けれど、弱った自分の判断力なんて決して信じちゃいけなかった。

 

夜、私に腕枕をして「愛してる」とつぶやく彼女。

けれどその数分後に携帯の着信音が鳴る。その音は電話してきている人だけ特別に設定している音楽。

慌てるように彼女が出て話ながら、バタバタと身支度を整えていく。そして電話を切ると私に向って「ちょっと様子がおかしいから、あの子のところに行ってくる」

 

そして明け方まで帰ってこないのだ。

わたしはこの環境に、自分はいったい何をしているんだと悔しくなった。結局依存してしまっていたのは私だったのだ。

彼女にこの気持ちを言ってしまえば「だって付き合ってないでしょ。けど大切だし愛しているのは本当だから、なるべく守ってあげたいの」と答えるだろう。言わなくてもそのようなニュアンスの台詞を何度も吐かれていた私には予想がついていた。

 

「もっといい女になれるよ」

「他のところにいっちゃうのはさみしい」

「自分をいちばんにして」

「○○ちゃんとかすごく良いと思うよ、付き合ってみたらいいのに」

「あなたも大事だけど、私にはもう一人いるから。その子の方が重傷だから、どうしてもその子から連絡が来たらいかなきゃならない」

身体をベタベタ触り、私の顔を見て好きだと言う。愛しているとも何度も言う。そばにいてくれて幸せだとぼやく。そのくせに酷い言葉で突き放す。

もう限界だった。私の依存しているこの状況を変えない限り、いいように扱われることもわかっていた。

 

必死の思いで半年間、彼女とのかかわりを徐々に疎遠にしていった。

その途中、目をかけていたもう一人の女の子は忽然と飛んだらしい。連絡先をブロックされて、何もできなくなったと。

彼女は頭が良いと思った。見切りをつけるのが私よりはるかに速かった。

 

するとなるべく会わない様にと疎遠活動をしていた私に張り付くようになり、挙句の果てには「あなたとなら付き合っていけると思うんだ。付き合おうよ」と言った。

最低だと思った、けれど流されそうになっている自分も最低だと思った。

 

なんとか気持ちをこらえて、付き合う気持ちはない、と突き返した。

 

一週間後、彼女ができたという報告がきた。

それと同時に「あなたはもっといい女になれるんだから、はやく幸せ見つけなよ」とも言われた。

他人行儀のその言葉が、私をどれほどまでに傷つけたのか、彼女は知る由もないだろう。

あなたが出来なかったことを、けれど私のすべてを知っているという呈で押し付けないでほしかった。あなたの駒じゃない。あなたのせいで、さらに人間と言うものを嫌いにさせられた。

 

今だ癒えない深い傷。

 

そしていまだに、周りの友人を使って私の近況を聞き出している。「付き合ってもよかったんだけど、そこまで至らなかったんだよね」というとんでもないポジティブな一言を合わせて、今日も誰かに吹聴しているのだろう。

 

こんな思いをするくらいなら、どれほど弱っていても、他人には見せてはいけないのだ。

いじめという弱さ

元々、幼少期からその気はあったんだと思う。

恥ずかしがりやで気を抜けばすぐにヘマをして揶揄われ、それが苦しくていつも自分を偽ってまわりの人間と接してきた。

なるべく明るく振る舞い、友達の世話をやき、親戚には「いい子だね」と言われる模範的な態度で接する。

 

家に帰ってきて一人になった時にようやく気が抜ける。

そして幼いながら思う、生きていくってとても苦労するのだなぁと。

 

小学校低学年の時は、理不尽なことを言われている子がいたら助けてあげていた。ガキ大将にだめだよ!と言って引き離していた。そうすることで自分の居場所を確立することに必死だった。

同時に、悲しんでいる子を見ると無性に胸がキリキリと痛んだ。本当の自分をみているようでつらかった。けれど、なるべくその本質に気づかないよう、気づかないフリをしていた。

 

自分というアイデンティティが確率されずに、ずっともがき続けていた毎日。周りの友人たちの個性に圧倒され、いつもそれっぽく振る舞っていたが全くなっていなかっただろう。

 

そんな私は当然のことながらいじめられた。と、言いたいところだが、実際はその逆だった。自分を強く持っていると、私は中々やられないぞ、と見えを張るために、いじめに加担した方だった。

周りの友達にバカにされてグループから弾かれることを極端に恐れ、そこから苦肉の策で出した案。

 

今まで正義をかざしていた子が、正義の顔をしながら裏でこそこそといじめをする。

こんな最低な人間は中々いないだろう、さながらドラマに出てくる一番の悪ガキだ。

 

そうして小学校3年生から6年生まで、いろんな問題を起こしてはそのスリルに溺れた。上級生とも揉めたが、女なんて手が出ないからそれほど怖くないと思った、思いこんだ。上級生と張り合っている自分に酔いしれた。その裏では究極に怯え眠れない日々が続いていたのに、学校では強がってうまくやり過ごしていた。

表では優等生で通っていた私に、先生から「いじめられていると思われる子がいるから、様子を見てくれないか」と相談されることもあった。

その子は私たちが主犯となっていじめているのに。

裏表のある性格はこの頃に完全に形成されていったのだと思う。

 

そんな酷い、だれの目にも当てられない過去。

 

けれど、自分のしたことは全て自分に返ってきた。

 

私の場合、返ってきたのは社会人になってからだった。

某金融業に入社が決まり、女社会の洗礼を受けた。仕事が激務で回らないことを知ったうえで圧力をかけてくる上司。しかも誰が言っているのかはわからない。直属の先輩に後ろから肩を叩かれ「上から目をつけられている」とぼそっと囁かれる。

ブラック企業だった。自分の気に入らない人間は早々に本社から飛ばし、涼しい顔をして仕事をする人達のかたまり。

その一番下っ端の私は、様々な嫌がらせや日付が変わるまでやらなければ終わらない仕事を押し付けられた。

 

ここで、学生時代になんとか築き上げてきた、薄っぺらいプライドを叩き折られた。強そうにしている表面が壊れてしまえば、中身は小さいころのままの、何もできない、成長していない自分が出てきた。

人が怖くなり、仕事もミスが増えた。ストレスからか勤務中に急に気を失うように眠ってしまい、窓口に立つ人間としてありえない失態を犯すようになっていった。

結局、心身症の診断書を病院で書いてもらい、会社提出して逃げるように退職した。

 

次に入った会社はパワハラとセクハラの会社だった。

社長に耳元で「おれとやらないか」とささやかれ、膝の上に乗せられ、頬にキスをされる。仕事は激務でこちらもギリギリ終電で帰れるか帰れないか。もっといい女になるために服を変えろと言われ、忘年会の時には女性社員の服を着させられ、スカートの上に社長は頭を乗せて満足そうに微笑んだ。

わたしの気持ちはここで完全に折れ、仕事をやめて、寝たきりで抗うつ剤を飲んで日々をやり過ごすようになった。

 

ちょこちょこスナックなどで働きながら生計を立て、ようやく入った次の会社は文房具や本を販売する大型店だった。

次はフロア内全員にいびられた。言われた通りに仕事をし、休憩に行き、戻ってくると自分のやったものが一番見える場所にあるゴミ箱に捨てられていた。

「全部違うから、捨てといたよ」

教えてくれた人の方を振り向くと、あからさまに目をそらして去っていく。私がいないところで大きい声で「ガキなんだから適当にあしらっておけばいいんだよ」と爆笑しながら雑談している人達。毎日泣いて帰った。それでももう職歴を傷つけたくなくて、1年間必死に頑張った。

 

そして今。

その後5年務めた会社を辞めて、誘いを受けた社長の方向性に感銘を受けて、その会社で働くことを決意した。

入ってみてまたやってしまった、と思った。どうして学習できないのか。

またパワハラとセクハラを受ける日々が始まった。

出張費の節約と称して家に宿泊させ、毎日朝から晩まで拘束される。出張が多いから月半分以上は社長と行動を共にする。

「もっといい女になれるよ、俺がおごるからいきつけの美容室に連れてってあげる」と言って美容室を予約され、その日を勝手に振替休日にさせられ、あげく美容室代は自腹を切らされて2万円を支払った。その日も一日中社長と行動を共にさせられた。

俺は良い男だ、と結婚観を語られ、今付き合っている人間のどこが良いのかわからないと馬頭する。

このまま良いようにされていくことが恐怖だった。自分の時間がないことに極度のストレスを感じ、咳が出るようになって咳喘息になった。

また戻ってしまったのだ、あの頃の鬱状態に。

 

意を決して「やめたい」と言ったら、あと一か月は一緒に仕事をしてくれと言われた。けれどそこからは地獄だった。社長の態度が急変したのだ。

私も行く共通の飲み屋に二日間通い、私がいかにダメな人間かを言いふらして歩かれた。それを信じた人たちからそんなんでいいの?と敵意をもったラインが飛んでくる。仕事でも態度が急変し、私を邪魔者のように扱った。手のひら返しに私の心は簡単に壊れ、メンタルもおかしくなって眠れなくなった。

1か月が異様なほどに長い。

 

いじめは何らかの形で帰ってくるのだ。

私は結局生きにくく、あがけばあがくほど溺れていく。一度踏み外した人間はなかなか浮上することができない。

「もっといい女になれるよ」

この言葉が人生の中で一番嫌いな言葉だ。